奈義でわたしは「知慧の兎」に逢えた

奈義でわたしは「知慧の兎」に逢えた
       エッセイスト・末永通子


 チベット音楽演奏会は、名曲「ダウェシュヌ(昇ったばかりの月)」で始まりました。
 ≪第十七回NagiMOCA観月会≫の開幕を飾るのに、これ以上にふさわしい曲はないでしょう。この簡潔にして力強く華やかで美しい曲は、じつはチベット古典音楽のなかでわたしがいちばん好きな曲なのです。
 この曲をわたしはながい間、楽団の演奏を録音した古いテープで聴いていました。弟のタシ・クンガ(空閑俊憲)が、ニューヨークから送ってくれたものです。まるで水の中から大きな月があらわれ、きらきらと輝きながら天空へと昇っていく様子が眼に見えるような演奏ですが、楽器のみで歌は入っていません。
 数年後、今度は弟からダムニェン(「ダ」は「音」、「ニェン」は「心地よい」の意。チベット固有の撥弦楽器、ピックを用いて演奏する)の練習風景を録音したテープが届きました。練習曲は「ダウェシュヌ(昇ったばかりの月)」。テープを聴いてわたしは、思わす耳をそばだてました。弟のダムニェンに合わせ、師のサンポ・リンポチェが歌を口づさんでいるではありませんか。湯船のなかで歌っているかのように、とても気持ちよさそうに。
 <この曲には歌詞があったの?ぜひその内容を知りたい!>と、わたしは躍起になりました。が、ダムニェンの音にかき消され、サンポ・リンポチェの声はよく聴きとれません。そこでわたしのチベット語の先生である、野口リンジンさんにテープを聴いてもらうことにしました。リンジンさんはスピーカーにぴたりと耳をつけ、テープを巻き戻して二回聴くと、三回目にはいっしょに歌い始めたのです。では、こうして判明した歌詞をスエナガ流の意訳でご紹介しましょう。


ダウェシュヌ(昇ったばかりの月)

東の峰から月が姿をあらわした
天空に白く輝くおおきな月
こんなにまぢかに知慧の兎に逢えるとは
私は予想もしていなかった


 この歌詞をとおしてわたしは、チベットの人々が「月には知慧の兎がいる」と思っていることを発見したのです。そして『今昔物語集』のなかの、天竺(インド)の仏教説話を思い出しました。これは広く知られたお話ですから、ご存じの方も多いと思います。

 ウサギとキツネとサルは、仏教の根本精神である「利他(愛と思いやり)」の実践にはげんでいました。それを見た帝釈天(仏法を護る神)は、本物かどうか試すために、老人に身をやつして登場します。空腹の老人のために、サルとキツネは野菜や果物や魚をとってきて食べさせますが、ウサギは何もとってくることができないのです。ウサギは「私はなにもご馳走することができません。私の肉を食べてください」というと、火の中に飛び込んで死んでしまいます。その時、老人は帝釈天の姿にもどり、ウサギを月の中に移しました。地球上の生きとし生けるものに見せるために。

 このウサギは、まさに愛と思いやりの化身といえるでしょう。
 チベット語には「知慧」をあらわす言葉が二つあります。「イェシェ」と「シェラプ」です。わたしはリンジンさんに二つの「知慧」の違いを尋ねました。リンジンさんは「イェシェは、人が生まれながらに身につけている知慧。シェラプは、人が学んで身につける知慧」と答えました。「知慧の兎」の知慧は、もちろんシェラプをさしています。
 ところで今回、私たちがたのしみに待っていたパッサン・ドルマが、来日できないという不慮の出来事に見舞われました。
 ビザ取得など、私たちにとってはなんでもない手続きの一つにすぎません。しかし、難民として生きるチベット人にとってはそうではないのです。一九四九年、中華人民共和国成立。一九五〇年、中共軍によるチベット侵略開始。一九五九年、ダライ・ラマ十四世インドへ亡命。以来、多くのチベット人が祖国を逃れ、現在も難民として世界中で暮らしています。急きょパッサン・ドルマの代役として登場した、テンジン・クンサンは難民三世です。私たちは今回の出来事をとおして、難民生活を余儀なくされているチベット人の、苦境の一端に触れる機会を得たのではないでしょうか。
 タシ・クンガ(空閑俊憲)はいいます。「音楽はその生まれた国を支え、政治を越えて、人を平等に愛してくれる。チベット音楽には、万物の生命を尊ぶチベット仏教の教えが、血となり肉となって流れている。生きることの喜びと不思議が、偶然に乗り合わせた『人生丸』という船のなかで、私たち乗組員の手に必然の輪を結ばせる」と。
 熱いアンコールで演奏会が終了した後、わたしは水の匂いにつつまれた「大地の棟」から、「月の棟」へと向かいました。「中秋の名月の晩、月の棟には月光が指すように設計されている」と弟から聞いていたからです。
 入口脇の窓のそばに立ち、そっと夜空を見上げました。なんと、そこには煌々たる満月が。あざやかな青を背景に、金いろのみごとな月。こんなにきれいな月は初めてです。わたしの唇からこぼれ出たのは、「こんなにまぢかに知慧のウサギに逢えるとは、私は予想もしていなかった」という歌の一節でした。
 月明かりの中にたたずんでいると、テンジン・クンサンがやってきて、リンブー(笛)を吹いてくれました。その笛の音は「月の棟」の高い天井に木霊し、「知慧の兎」に逢えたよろこびが増幅されていくのを体感しました。
 ずっと前から訪ねてみたいと願っていた奈義町現代美術館は、神話の山ふところに抱かれ、「いのち」や「地球」や「宇宙」について、訪れた人を思索にいざなう稀有な場所でした。夜間も開放される≪観月会≫はまた別格で、わたしは「知慧の兎」に逢うという、すてきな贈りものを手にすることができたのです。